2004年9月10-11日と,福井で「2004年 免疫毒性・アレルギー学会」という総称のもと,
日本免疫毒性学会・日本職業・環境アレルギー学会・日本産業衛生学会「アレルギー・免疫毒性研究会」
の3学会合同開催が,福井大学医学部環境保健学講座 日下教授を会長として行われました。

福井はこの夏,集中豪雨で非常な水害に見舞われました。また,原発の事故もありました。しかし,福井の別名は「フェニックス」とのことで,古くは福井地震からも復興を遂げ,現在は,男女共に平均寿命が国内第2位とのことです。


福井には新大阪からサンダーバードで往きました。湖西線を通りますが,なかなか,琵琶湖の風景がステキでした。


辿り着いた福井駅です。新幹線誘致たけなわとのことですが,でも,それを待ってられないと,工事中でした。
定番の看板と看板を背中にして自撮です。 今回は,三浦先生も,教室に所属して初めての発表ということで,参加してくれました。
(ブレてました,済みません)

講演に聞き入る三浦先生。
大槻はサボっている訳ではなくて,別会場の世話人会から帰って来たところです。
会場の国際交流会館は,昔は,知事公舎だったそうです。 B階の受付の様子。
懇親会:日下会長 懇親会で特別講演のDonaldson教授に古地図をお渡しになる日下会長 懇親会:来賓の挨拶

酒井 福井市長さんです。
懇親会:来賓の挨拶

西浦 福井県医師会長さんです。
日本免疫毒性学会の総会 三浦先生や大槻が発表した会場

懇親会ではハープ演奏が(生で聴くのは初めてでした)ありました。格調高い素晴らしい懇親会でした。
懇親会の写真は,ブレてます。
済みません。
 
学会終了後に日下会長先生より,懇親会でのスナップを御送付いただきました。ありがとうございました。
前列中央が日下教授,その左が菅沼講師(実は,水島にも勤務されいたとのこと,びっくり),右は佐藤助教授です。後列には,Donaldson教授もいらっしゃいます。
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福井駅からすぐの処に県庁がありますが,そこは,城跡です。 城跡の廻りをグルっとお堀があって散歩道になっています。

奥の県庁の建物はちょっと興ざめ??
天守閣は跡しかありませんでした。

右の説明にある井戸も2つ右に写真を入れております。

これが「福井」の名の始まりなのですね。
天守閣の跡の横に県庁が聳えていますが,中庭とか風情も感じられます。
県庁の表門の辺りには,結城秀康公の大きな像がありました。 お堀端には,彫刻も結構ありました。

和みます。
福井神社が,お堀端の直ぐ横にあります。昭和18年9月、福井城内の霊域に福井藩主松平春嶽を奉祀し創建されました。昭和20年空襲によって社殿を焼失。その後再建されたものですが,このイチョウは,フェニックスの代名詞だそうです。 ← →

お堀端,横の中央公園です。


町の中心を流れる足羽川(asuwa river)です。これが,この夏,氾濫したそうです。今は,そのような恐ろしさは見受けられないのですが・・・・。

「豪雨がいったん小降りになった 2004/7/18 昼すぎ。福井市街地の足羽川は水位がさらに上昇、どの橋も橋脚が見えなくなった。午後一時半過ぎ、木田橋上流で幅八メートル前後の堤防が水に浸り、ついに決壊。約八十メートルにわたって川岸がえぐり取られ、濁流は市道を波のように走って住宅街に押し寄せた」とのことです。


市内には,路面電車も走ってました。


彫刻もあります。
足羽川の堤防のところです。

これはなかなか僕らも学びましょう!
橋本佐内 先生という偉人の方で,名を冠した公園(しかし,その辺りが本当に水害を受けたとのこと)もあり,墓所もありました。
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福井駅から少し南西へ行くと足羽山公園があります。

福井市のシンボルで標高116.8mの歴史と自然が一杯のオアシスとのことです。
アジサイロードを昇って行きました。
アジサイロードの登り口にある碑です。

実は,もう一方の昇る途は通行止めでした。多分,水害のためと思います。
とにかく,この公園には福井の偉人や歴史上の人物の碑や像があふれんばかりにありました。
福井市自然史博物館があります。


継体天皇は,福井の礎を築いたとのことで,大きな像がありました。
「第26代継体天皇は応神天皇5世の孫といわれ、越前の出身です。第25代武烈天皇が崩御すると、大伴金村らによって推戴され山背樟葉宮にて即位しました。
しかし、大和に入ったのはそれからずっと遅く、即位後20年後でした。長年の王家だった大和朝廷の近親者が大和周辺におらず、わざわざ遠い越前のしかも、遠縁にあたる継体が推戴されねばならなかったのか?また、継体帝がなぜ20年間も大和に入れなかったのか。継体政権をめぐる謎は深まります。仮説として考えられるのは、越前、近江など継体帝を頂点とする豪族勢力が大和政権を攻めたのか、あるいは圧迫して政権をとったのか。もしそうだとするならば、後に壬申の乱で勝利して政権をとった天武天皇を想沸とさせます。」-----------------というようなことのようです。遥か昔とはいえ,飛鳥路や流浪の経路以外での天皇像というのは,歴史に思いを馳せさせてくれます。
  とにかく,碑や像は,本当にたくさんありました。ちょっとびっくりするくらいに。

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禁門の変・戉辰戦争の殉難藩士を祀るため,松平家が墓碑を建立し,招魂場としたことから始まっているそうです。
公園のいろんな処に一杯,御茶屋さんがあります。どうしてこんなに沢山?って思ってたら,どうも桜の季節には,この公園は本当に凄い人手で3500本の桜が咲き誇るそうです。ボンボリも灯されて,宴会が繰り広げられるそうです。
木の芽田楽が,この時期は良いそうです(試しませんでしたが)。


稲荷山古墳という径30数mの円墳の後に,平和の塔が建設されていました。
碑や像だけでなく緑も豊かでした。
いたるところで,福井市街が一望できます。

遠くは白山の美しい姿,とのことです。
ミニ動物園やアスレチック広場もあり,そこまでアジサイロードを車で入ることも出来,この日も2〜3組の子供連れが歓声をあげていました。
ミニ動物園から再びアジサイロードも戻って行って,そこには,新田義貞を祀る藤島神社があります。
そして,その少し麓よりには,白山神社があります。
そのもう少しふもとよりには,黒龍神社もありました。 お土産は羽二重餅

これは福井の名産ですね。小さい頃,丹波や丹後に居た頃は,若狭は近くて,その縁で,越前も近かったのかしら? 子供の頃,よく食べたような記憶が蘇りました。